幸福の測り方

政治・経済

一番の幸せはどちらなのか

とある二人組はラーメンを食べた。
それはとても美味しいラーメンで彼らは大変満足して店を出る。更に退店した後も、どれだけ美味かったかを語り合う。
そのうち話はおかしな方向へと走り始めた。どちらがより美味しく食べられたかを争い出したのだ。
もちろんそれぞれが自分が一番ラーメンを美味しく感じたと主張する。
さて、このときどちらがより美味しくラーメンを食べたかを客観的に明らかにすることは可能だろうか。

効用という物差し

傍から見ると下らないしどちらでも変わらないと感じるだろう。
二人組が三人組だったならそんなつまらないことで喧嘩をするなと仲裁するだろうか。案外三人目も自分こそが一番美味しく食べたと争うのかもしれない
ここで彼らの話に耳を傾けても無駄だ。彼らの語ることは異口同音に自分が一番だと語るが、彼らがどんなにラーメンに感動したかは彼らにしか分からないからだ。
実は不味かったのに嘘をついていたとしてもそれを明らかにする術はない。
このような主観的な感情を客観的に比較するという課題に、経済学は効用を使って答えてきた。
効用とは消費者が財やサービスを消費したときにどれだけ満足を得られたかを表す。

2つの考え方

その効用には2つの考え方がある。
序数効用と基数効用である。

  • 序数効用
    効用は順番が重要であるという考え
    順番が分かるとその人がラーメンとカレーのどちらが好きかを明らかにできる。
    ただラーメンをカレーの2倍好きかどうかは分からない。
  • 基数効用
    効用は水準が重要であるという考え
    その人はラーメンに効用20、カレーに効用10を感じるのでラーメンがカレーの2倍好きだと明らかに出来る。

現在は序数効用の考え方が一般的だ。効用の数値化は難しいうえ、また好みの順番が分かれば実用上は十分な事が多かったからだ。

経済学における効用

経済学においてこの効用は次のように仮定される。

  • 常に最大の効用を目指す
    ラーメンとカレーを比較しラーメンの効用が大きければ常にラーメンを食べるのである。
  • 効用は次第に薄れる
    二杯の天丼はうまく食えぬと言う。つまりどんなに天丼が好物で美味しくても満腹や飽きで必ず2杯目は前回よりも美味しくない。
    こんな当たり前のことを経済学では限界効用逓減の法則という。
    限界効用とは、同じものを1つ追加で得たときの満足の増加分を指す。よって限界効用逓減の法則は言い換えれば効用は1回目よりも2回目のほうが徐々に減っていくということである。

これらを元に考えると例えばある人がどうしてそのような財やサービスを買ったかを説明できるのだ。

効用の限界

効用は主観的なものなので、他者との比較は出来ない。
ある人Aがカレーよりもラーメンを好きだと分かり、別の人Bも同じくカレーよりもラーメンが好きだと分かったとしても、二人のどちらがラーメンが好きかは比較することはできない。
なぜならば効用は主観的な物なのでAとBの好み、つまり効用の順序はその人内部のみにしか意味がないからである。
つまり最初のラーメンを食べた二人組のどちらが美味しく食べられたのか、つまり幸せだったのかは分からない。これが結論となる。

それでも効用には価値がある

では比較が出来ない効用は使い勝手の悪いのか。そうではない。

  • 一人の人間の行動を説明できる。
    なぜ彼がラーメンを選び、別の場面ではカレーを選んだのかを効用という物差しで統一的に説明できる。
  • 社会全体の動きを理解する手がかりにもなる。
    例えばなぜ値段が下がると需要が増えるのかを限界効用逓減の法則によれば説明できる。
    これは値段が下がると低下した限界効用に対してコストが下がるので購入が合理的となり、結果として需要が増える、ということである。
  • 政策や制度設計に使える。
    幸福を完璧に計測できる道具ではなくても、「幸福をどう測ろうとするか」という試みそのものが正当な営みである。

効用は政策や制度設計に大きな影響を与えその政策や制度が本当に人々の幸福に役立つのか、より幸せになる方法はないのかという問いへの回答に役立ち幸福の増加をもたらした。
このように効用は不完全な物差しに間違いはないが、それでも欠かせない物差しと言える。

幸福の計測は幸福を導くのか

ここまで述べたことから改めて結論を出せば、ラーメンを食べた二人組のうちどちらが幸福であるかは分からないのだ。
効用を使えば彼らそれぞれがどの程度ラーメンが好きかは説明できる。だが効用が主観的なものである以上、別の人間の効用を比較することはできないのだ。
それでも効用は個人と社会の行動を説明することができる大切な物差しであることに違いはない。
それにそもそも、二人組のうちどちらが幸せであるかを知ることに意味はあるのだろうか?
果たして「一番であること」が幸福を増やすのだろうか。あるいは「二番であること」が幸福を減らすのだろうか。
大切なのは美味しいラーメンをたくさん食べられるかどうかではないのだろうか?

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