幸福至上主義とは何か?

思索

無意味な生だからこそ

あなたの生きる目的はなんですか?
人はなぜ生きるのでしょうか。

私はこの問いを長く考えてきました。
生きることに意味はあるのか。宇宙もいつか滅びるのに私たちは何のために生きるのか。

結論から言えば、生きることに「外から与えられた意味」はありません。
けれども、それでも私たちは生きています。
理性が意味を見失っても、本能は生きようとする。この「生きる衝動」こそすべての出発点なのです。

だからこそ、生の目的は他人に決められるものではなく、自分自身が自由に選び取るものです。
そして、人が自分の生を自由に選び取れるとき、それを私は「幸福」と呼びます。

幸福至上主義は、「人間は幸福のために生きる」というただ一つの定義から始まります。

幸福至上主義とは

幸福至上主義とは「人間は幸福のために生きる」という根本定義から出発します。
この根本定義から矛盾のない論理を構築し、その視点から現代の社会を再検討しよりよい社会のあり方を提言することを目指す思想です。
つまり幸福至上主義は机上の空論に留まることなく、現実的な解決策を提言できることを目指します。

現代社会は正義・自由・平等・効率など多様な価値が取り上げられ頻繁に対立します。幸福至上主義はこのような多様な価値の対立を「幸福」という共通の価値によって整理し調和を図り共存させようとする試みです。
幸福至上主義は決して幸福だけを唯一の価値として他の価値を排除する思想ではありません。むしろ多様な価値を活かしながら、それらを人間の幸福にどう結びつけるかを考える思想です。

幸福を扱う思想に功利主義があります。この功利主義が「幸福の総量」をどう最大化するかと試みるのに対し、幸福至上主義では「幸福」をどう自由化するかを試みます。
この自由化は幸福の定義を他人に強制されることなく、人々が自分の幸福を自ら決めることが出来る自由です。
幸福の中身は人それぞれ異なり、その設定は自由です。だからこそ、社会は人々が自身の幸福を自由に定められるように設計されなければならないのです。

しかし残念ながらまだ現実的な解決策を提言することは出来ていません。幸福至上主義は未だ思想としての完成度を高めるべき段階だからです。
けれどもただ一つの根本定義から出発した論理体系による社会の再構築は、多様な価値が対立し複雑化する現代においても、またこれからの時代にも必要とされる思想だと私は考えています。

ブログの方向性

幸福至上主義は私にとって大きな関心の対象です。
このブログではこの思想について私なりの思索を綴っていきます。

私は「人間の生きる意味はないが、それでも生きるべきだ」と考えました。
では、あなたはどう思いますか?
人間が生きる意味はあると思いますか。そして、それは何だと思いますか?

私はまた「人間の幸福は他者に決められるものではなく、その人自身が自由に決めるべきだ」と考えました。
では、あなたは幸福は自由に決められるべきだと思いますか?
それとも、万人に共通する幸福というものが存在すると思いますか?

このブログでは、そんな問いを通じて幸福とは何か、どうすれば幸福になるのかを探っていきます。
あなたと一緒にこの問いを考えていけたら嬉しく思います。

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